楽器に対するいくつかの考察3、波
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ガラス管の中のバラが呼吸したいと叫ぶ。私にはそれが聞こえる。それを聞き流すことが出来るのも人間の能力だと思う。いちいちかまっていられない。けれど、たまに聞き流せなくなって、ガラスを割ってしまいたくなる。そんなときは、自分が呼吸していることを確認すればいい。私は生きている。バラは死んでいる。呼吸しなければいけないのはどちらか。ガラスを割ったところで、死んでしまったバラが呼吸することは出来ない。そして大きく深呼吸をすれば、またいつものように生活することが出来る。 「何をくれるの?」 私は何も知らないふりをして聞く。何も期待していないふりをする。 「何が欲しいの?」 あなたは私が欲しいものを知らないふりをする。私に言わせたがる。 「別に・・・。」 別に、何も。欲しいなんていってない。 「そう。」 そしてあなたはまた絵を見ている。足がおそろしく長く細い動物。 チャペルのオルガンで聞く現代曲の、波のような不協和音。私は船の上にいるように酔ってしまう。不安しか押し寄せてこない。たまに何かがキラキラと輝くけれど、大きな波に飲み込まれてしまう。最後まで聞いたら溺れてしまうような気がして、でも立ったら倒れそうで、それになぜか真剣に耳を傾けたいと思っていた。黙って聞いていると、音の向こうからバラの叫び声がする。手の中にガラスの振動が感じられる。そう思ったけれど、実際には思わずつかんでいたいすの肘掛けが少し振動しているだけで、それに気づくと叫び声も聞こえなくなった。 「ねぇ、何をくれるの?」 私はまた聞いてみる。あなたはそっと絵から視線をずらして、私を見た。 「僕の時間ならいくらでもあげるけど。」 いらついた様子もなくあなたは言う。 「時間?垂れた時計のことかしら。」 それも悪くないと感じる。時間をもらい続ければ、私がバラになった時、あなたにむかって叫ぶことが出来ると思う。 「そうだね。僕に必要なのは僕の時間ではないから。」 あなたがバラになったら、あなたは誰に向かって叫ぶの。 「じゃあ、私の時間が必要?」 思わず聞いてから、後悔した。あなたはふわっと笑って、絵に視線を戻す。肯定する反応ではない。私は諦めて、イヤホンを耳に入れる。 今日もバラが叫んでいる。呼吸がしたいと叫んでいる。ガラス管が細かく振動し、今にも割れそうに見えるけれど、それが決して割れないことを私は知っている。 |